Off time2019.11.20
長崎からはじまった旅 初歌舞伎を小倉で〜 カメラスケッチ!
昨年あたりから 歌舞伎をこの目で観てみたいと思い、
今年になってそれを年始の目標にして 時折 気にかけながらタイミングを見計らっていました(笑)ー^^
”いだてん”の勢いにのって 中村勘九郎の平成中村座(2000年に浅草で初演された)を是非!!と思っていたのです
リサーチしていると 今年はひと月九州小倉城勝山公園にて上演予定で 九州初上陸とのこと!
(なんでも小倉城は再建60周年だそう)
”どうしよう。。。九州か 遠いなぁ。。”
でも 観たい気持ちが冷めない旬のうちに 行きたい! いや、 行こう!と決めました (^O^)/
(仕事もその分 集中して頑張りました)
そして 気のおけない友人にも声をかけ一緒に行くことになり
無事 チケットもとれ 合わせて飛行機やホテルの手配、その前後の旅の計画などを相談し
せっかく南に行くのだから・・・と 前のりで長崎(今まで原爆投下の地へ行ったことがなく ちゃんと知っておきたかったのです)、小倉、出雲、松江、安来、神戸へ
移動も多かったけど 充実の旅でした(^_-)
一応、行く前に 歌舞伎が好きで詳しい方から雑誌などを借りて下調べを試みましたが、
結局 あまり頭には入らず・・・でして (^_^;)
古典でも 同じ日本人 なんとかなるか! 感性で本番を迎えようと思い直しました〜
こちら 小倉城
大きな芝居小屋が建ってます! 後ろのベージュのが小屋で沢山の幟が立って 奥に二十軒長屋が並んでいます
開場前には開演を待ち望むお客さんでいっぱい〜
大入りでした
こちらが お大尽席、チッらと幕間に見ると どこかの社長さんらしき方々が お酒を嗜みながら観覧されてました (๑>◡<๑)
私たちはその並びの列の 花道が吸い込まれてゆく頭上の席で 役者の額の汗の光っている様子などが見れました
勘九郎さんと獅童さんの掛け合いや 七之助さんの女方が とっても美しかったです!
一、神霊矢口渡
二、お祭り
三、恋飛脚大和往来
トト様〜 〜しやさんせ 〜ありがてえ
台詞の言い回しなど おかしみもあって なんとなくストーリーもわかりました
幕間に食べたお弁当も 格別 美味しかったです( ´ ▽ ` )ノ
江戸の風情を 肌で感じられる歌舞伎の世界 また機会があれば観てみたいなぁ〜〜@
と まず 歌舞伎の話題からと相成りましたが
この調子だと ちょっと長くなってしまいそう。。。汗
・・・・・・・・・・・・・・・・
さてさて
旅の始まりは長崎でした!
事前に図書館でガイドブックを借りてきて 行きたい場所をチェックし旅のノートに要所を書いておいたのですが
実際に行ってみると 路面電車の停留所名が ”違っている!!(@_@)” どうゆうこと????
乗り継ぎするはずの ”築町(つきまち)”が無い?
地図を見ていると 場所的には合っているし。。。ふむぅ
????
検索してみると電停名称が2018年8月〜に変更になったとか。
そだったのか・・・
築町は→新地中華街
浜口町は→原爆資料館前と 13箇所 変更に!沿線の観光施設や有名スポットがある場合 観光客にもよりわかりやすい名称になったんですね^^
(ガイドブックの情報はちょっと古かったとわかり これでスッキリ@)
路面電車の一日乗車券(500円)を有効利用して10回は乗ったかな^^
そして 歩き回りました〜〜
原爆資料館
資料館では 1度目のサブイボが。。
爆心地
平和公園の仲良しスズメ∧( ‘Θ’ )∧
電車を降りて原爆資料館への坂道を歩いていると隣を
歩いているおじさんが 資料館へ行くんですか?と声をかけてくれ
その方は 資料館でボランティアでガイドをしているとのことで
資料館内で 小学生のグループに混じって 私たちも横でその方のお話しを聴きながら回らせてもらいました
頭ではわかっているつもりでも 当時の惨事にかなりの衝撃が走りました。。
何もかもが一瞬に灰となってしまう 原子爆弾投下は2度とあってはなりません!!!!!
多くの人々のいたましい命が犠牲になり 多くの被爆者が現在も苦しみ次の世代までに影響がでる核兵器を許せません(`_´)ゞ
記事が長くなってしまって ちょっと小休止しまして
あとで つづきを記しますーーーー
旅のはじまりの長崎 とても深い学びとなりました
・・・・・・・つづき
長崎では路面電車と徒歩で あちこち巡りました〜
平和公園から 如己堂(永井隆博士が白血病の療養と執筆をした二畳一間)、浦上天主堂
長崎美術館、からすみ屋、カステラ屋、、、眼鏡橋、中華街
長崎美術館は隈研吾さんの設計
ランチを美術館のカフェにて/長崎の恵みプレート
大浦天主堂、グラバー園、オランダ坂
雲龍亭の一口餃子はめっちゃ ウマウマでした〜
ビールと共に!
・・・・・・・・・・出雲大社
なぜだか鳥居をくぐるとポツポツと降っていた雨が いきなり ザーっと降り出し、木の陰などでやどっていて
小降りになり 歩き 御本殿の前では晴れ間が見えてきて 不思議な空模様でした!
2度目のサブイボが出ましたよ
・・・・玉造温泉 湯町窯へ
ここの器は家でも使っていて(民藝が好きで) 実際に窯元を訪れたいと思っていました^^
お抹茶をいただきました
・・・・・松江市内を散策
ランチは 喫茶室ツバメにて(前日 移動中のJRから予約を入れた)腹ごしらえ
ぺこぺこのお腹に沁み渡る美味しさ!!
生姜の効いたポトフがあったまり 白菜とニラの浅漬けが 箸休めに最高でした^^
「objects」
松江城(裏側から見る)
夕飯に浪速寿司の ほかほか蒸し寿司!
・・・・・・安来の足立美術館へ
手入れのゆき届いた 日本庭園が見事、
横山大観の世界観を 足立全康さん(足立美術館設立した方)が庭の設計に取り入れた奥に15mの滝を配し 一幅の絵のようでした!!
横山大観の大作 紅葉の画を観て3度目のサブイボ
大観の初期の作品”無我”も 良かった
外国からも大勢の観光客が来られていて
前日は一日で4千人の来館があったと シャトルバスの運転手さんが教えてくれました!@@!
・・・・神戸
阪神大震災後は 初訪でした
街は 息を吹き返していました!
震災時の時刻が止まったままの像
市役所近くのフラワーロードのメタセコイヤが美しかった
マンホールも 神戸がギュギュッと 詰まったデザイン( ´ ▽ ` )ノ
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
今回の旅は 伏線があったような気がしてなりません
不思議と訪れた場所が 繋がっていったのです
●1945年8月9日、当初 米軍の計画では ”小倉”(歌舞伎を観に長崎の翌日 訪れた) に原爆投下の予定だったそう
●原爆資料館で初めて知った 永井隆博士(被曝して重い傷を負った直後から医学者として被爆者の救護活動に取り組み自身の白血病が悪化する中「長崎の鐘」などの多くの本などを書き残した方)の
生まれが”松江”(4日目に訪れた)
永井先生に感銘を受けて売店で文庫本を購入、浦上天主堂へ向かう途中”如己堂”に立ち寄ることが出来た
●昔から好きな陶芸家の”河井寛次郎”の郷里が”安来”(足立美術館へのシャトルバスが出ているのが 安来駅前で駅の壁には寛次郎の言葉が掲げられていて 又、足立美術館の中にも寛次郎の展示室があった)
私は特に哲学的な寛次郎の仕事に向かう生き方が好きなのだ
点と点を結ぶように 見えない道筋のようなものがついていたような気がしてならない 旅でした〜
大人になっての修学旅行!
こころよく送り出してくれた うちのひとにも ありがとう(^人^)
とっても 長くなりましたが 記録に残したかったのですm(_ _)m
お付き合い ありがとうございます^^
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